トランスジェンダーと発達障碍
1.林公一『サイコバブル社会』を読んで。
林公一の『サイコバブル社会 膨張し融解する心の病』という本がある。
林公一は精神科医だ。「まさかとは思いますが」のコピペで知っている人も多いだろう。
この本の主題は、膨張してゆく精神医療と歪む世間の認知だ。どのように精神科医は診断を下すかや、精神医療の現場で起きている実態について詳細に書かれている。同時に、
精神障碍も「LGBT」も、「理解しなければ」とは誰もが思っている。だが、「理解をすること」と、「無条件に受け入れること」は違う。
『サイコバブル社会』の冒頭で、「うつ病は明るい病気になった」と林は書いている。
うつ病という病気に光が当てられるようになった。
かつては、「怠け者」や「不治の病」という偏見が世間に深く根差していた――誰にも打ち明けられず、孤独に苦悩するしかなかった。それが、治療や援助を受けて治ってゆく病へと変わったのである。
一方、「うつ病はバブル化している」と林は言う。
うつ病ばかりか、全ての精神疾患がバブル化している可能性がある。しかも、そのバブルを抑制していたのが「偏見」だ。
「偏見がなくなればそれは一転する。うつ病では、偏見の雪解けとともに、バブルが膨張した。うつ病に限らない。心の病はどれも、かつては偏見が強かった。だから、知識が広まっても、バブルになるまでは一定の期間が必要だった。」『サイコバブル社会』
うつ病に「光が当たるようになった」こと――。
それは、「うつ病」という診断に「利益」がある社会になったことを意味する。
この「利益」には二つの意味がある。
一つは、早期的で適切な治療を本物のうつ病患者が受けられるようになったことだ。
うつ病が「暗い病気」だった頃、診断書に「うつ病」と書くことさえ躊躇された。知識が世間に浸透しておらず、治療を受けなかったり、受けさせてもらえなかったりした。結果、病気を悪化させ、自死に追い込まれた人もいる。
しかし、偏見が払拭されるにつれ、適切な治療を早い段階で受けて快癒する人々が増えた。
その一方で、もう一つの意味の「利益」を得ようとする人々も現れ始める。
すなわち、うつ病を自称する人々だ。
うつ病の特徴は、憂鬱や苛々、朝起きにくいこと、やる気が出ないことなどだ。それらを自己申告して、「うつ病」という診断を得た人もいる。
うつ病に休養は必須だ。しかし、休養を得たにもかかわらず、平素の本人と変わりないようにしか見えず――休暇を愉しんでいるようにしか見えず――不審の目を向けられる人々も増えている。
このことについて、別の著書で林はこう述べている。
「『憂鬱』『イライラ』『意欲低下』など、うつ病の症状の一つひとつと、その人の状態をいくら照らし合わせても、うつ病の診断はできません。重要なのは、全体像です。人の心は部品に分解することはできません。症状という部品をいくら組み合わせても、人の心は再構成できません。症状という部品に分解した途端に、本質が失われているのです。その人の全体像を見なければ心の病は診断できません。」『擬態うつ病/新型うつ病 実例からみる対応法』林公一
全体像を見ること――それは端的に言えば、「それまでの本人とは明確に違っていること」「世間的・一般的な基準に照らし合わせて異常であること」だ。
うつ病などの気分障碍で通院する者の数は、十年間で三倍に増えた。
一九九九年の時点では40万人程度だった。しかし二〇〇八年には120万人にまで昇る。
病院の数も、一・五倍から二倍ほど増えた。一九九九年の時点で、精神科の数は四千を超えておらず、心療内科の数は二千を超えない程度であった。しかし二〇〇八年の時点で、精神科の数は六千に近くなり、心療内科の数は四千に近くなっている。
【グラフ】
https://kakuyomu.jp/users/Ebisumatsuri/news/16817139556353560372
何か問題が発生する――対策が立てられ、実行される。問題発生から実行まで時間があるのが普通だ。どのような迅速な対応でも一定の時間がかかる。
「ところが心の病に関しては、迅速に対策が進んでいる。しかも問題と対策がぴったりと足並みを揃えて進んでいる。こんなに上手くいくものだろうか。原因と結果に時間差がないとき、原因と結果の逆転の可能性を考えなければならない。」
つまり、精神科や心療内科が増えたことで、「心の病」が増えたのではないか――と。
「心療内科」「精神科」で検索すると、病院のホームページが大量にヒットする。そこには、受診を考える人へ向けた様々な言葉が書かれている。
「当クリニックには次のような方々の診療をしております。
気分が沈む・からだがだるい・横になることが多い・何もする気力がわかない・ストレスのある人・不安がある人・眠れない人・人間関係の悩みがある人・何となく会社に行きたくない人」
「『こんなことで、かかってもいいのでしょうか?』と迷っておられる方も多いようです。人の悩みはそれぞれ、千差万別です。大切なのは、それがどんな悩みかということではありません。大切なのは、あなたが、今、つらいと感じている、その事実です。その事実があったら、まずはお話を聞かせてください。」
こうして受診し、何が起きるのか――。
二通り考えられる。
一つはバラ色の展開――病気が軽いうちに受診し、順調に治ってゆくケースだ。
もう一つは、ブラックな展開――病気でもないのに不必要な治療が始められるケースである。
はたして、どちらが多いのか。
「どちらの解釈が正しいか。軽率に決めつけることはできない。ただ確実に言えることは、精神科クリニックからの呼びかけが客引きの誘い文句であろうと何であろうと、そのおかげで受診して救われる人が増えたということである。(後略)」
「が、それ自体は100パーセント事実でも、受診した人の100パーセントがそういう展開になるわけではない。受診して救われるのは、その人が病気だった場合である。」
心の病には客観的な検査がない。精神科医に助けを求めている者に「病気ではない」と断言することは容易ではない。
「病気ではない」と断言しても、患者は満足しない。「だったら私の悩みはどうすればいいんでしょうか。医者なら何とかしてください」と言われてしまう。結果、一応は治療を始めることとなる――何しろ、「うつ病ではない正常な気分の落ち込み」であっても精神向上薬は一定の効果を発揮するのだ。
精神疾患という診断が下れば、周囲を巻き込んだ配慮が行なわれる――「あの人は病気なんだから」という名目のもとで。うつ病に見えなくとも、「温かく見守ろう」と言われる。
しかし、本当に精神疾患だったとしても、適切な対応がされるとは限らない。
それは、精神疾患への正確な対応までは世間にはまだ認知されていないからだ。
『サイコバブル社会』には以下の事例が載っていた。
その文を寄せた人物は高校生だ。
彼女によれば、同じ学校のアスペルガーの女子に周囲が迷惑しているという。
問題の女子は、気に入った人物――相談者の友人――に付きまとっている。学校から駅までついてきたり、じっと後ろに立ったり、いきなり抱き着いたり、髪を引っ張ったりするのだ。
しかし、そのことを教師に説明しても「あの子は病気なんだから我慢しろ」と言われる。
相談者は、「理解が必要とか、障碍になりたくてなったわけではないとか世間では言うけれど、実際に迷惑している人間はどうすればいいのでしょうか」と言う。相談者は、彼女のせいで高校生活も楽しめない。つきまとわれている人物もストレスを感じている。アスペルガー症候群について調べても「患者を支援しよう」というものばかりで納得できない。
――彼女は病気なのだから、何でも我慢しよう。
それは、「あの人は
女性らしいところがなくとも、女性は全て我慢すべきなのだろうか?
いや、違う。
本当に病気や障碍ならば、それに見合った適切な対応を考えなければならない。
なお、うつ病もアスペルガー症候群も性同一障碍も、比較的まだ「明るい」病だ。
では、アルコール依存症はどうか。
端的に言って、アルコール依存症は「暗い病気」だ。病名は知られているが、実態は知られていない。病的な廃人だけが患者だと思われている。実際はそうではない。アルコール依存症患者の中には、飲酒運転で重大な事故を起こすまで社会に適合している者もいる。病気という認識が当事者や周囲に少なく、治療が手遅れになる場合が多い。
アルコール依存症について注目を集めているのは「予防」だ。アメリカ・カリフォルニア州の「DUIプログラム」などは、飲酒運転者に対してアルコール依存症予備軍の段階で介入される。
病気は、早めに発見して治療した方が治りやすい。それはアルコール依存症も同じだ。しかし、その当たり前のことが我が国では実行されていない。それは、アルコール依存症への理解が進んでおらず、まだまだ暗い病気だからだ。
我が国では、アルコール依存症の診断が下りることは
「アルコール依存症」という診断書は、今なお、「出さないでほしい」と本人や家族から頼まれることが多いという――かつて「うつ病」という病名を診断書に書くことが躊躇されたように。
同じ病気であっても、うつ病の診断は
では、もしも「アルコール依存症」という診断が本人に
例えば、「アルコール依存症も病気なのだから、飲酒運転にも厳罰ではなく治療を」という声が大きくなった社会が想像できる。そうなれば、飲酒運転をした者が「自分は病気なのだから」とアルコール依存症を自称しだすだろう。
では、今までの病気を並べた場合、どうなるか。
「アルコール依存症だから、飲酒運転も厳罰ではなく他の対応を」
「アスペルガー症候群だから、人間関係に問題があっても温かい接し方を」
「うつ病だから、職務怠慢に見えても厳しく叱るのではなく休養を」
この三つは何が違うのか――と林は問いかける。「病気だから」「社会的な問題があっても」「それは症状として治療・支援を」というパターンとしては同じだ。しかし、納得の度合いはそれぞれ違う。
それは「病気としての理解度が違うから」だ。「明るい病気」は納得度が上がり、「暗い病気」は納得度が下がる。だが、職務怠慢は職務怠慢でしかないし、飲酒運転は飲酒運転でしかない。対人関係に問題があるのならば是正させなければならない。
精神疾患に対する生半可な知識が世間には拡がってきた。受診者は増え、救われる本物の患者は増え、紛い物の患者も出てきた。適切とは言えない対応も、周囲との摩擦も増えている。
そうして起こるのは医療への不信だ。
かつて、精神医学への不信感が著しく膨れ上がったときがあった。
その運動は、「反精神医学」と呼ばれた。六十年代ごろにヨーロッパで生まれ、日本を含めた世界中に拡がった。背景には、当時の精神病院の劣悪な実態がある。それゆえ、「不当に隔離・収容されている患者を解放せよ」という主張が拡まった。「精神病などというものは存在しない」という極論が生まれ、精神医療が全否定される。
そして――真の患者も適切な医療を受けられなくなり、悲惨な生活に陥った。そこに至り、ようやく運動は収束する。
現在、精神医学への不信感は新たな形で膨れている。
林はそれを「ネオ反精神医学」と呼ぶ。「精神科医は何でも精神病にしてしまう」という主張は同じだ。しかし、「隔離・収容への反撥」ではなく、「特権付与への反撥」が背景にある。本物のうつ病患者ならば、休職・休養は不可欠だ。しかし、本物ではないうつ病が混ざってきたならば――どうなるのか。
これは、性同一性障碍と
言うまでもないことだが、生物学的男性に対する女性スペースの無制限の開放など、たとえ本物の性同一性障碍であっても適切とは言い難い。
しかも、ジェンダー゠クリニックの中には適当な診断を下す所があるらしい。戸籍変更済み
そうなれば、不信感は膨れ上がる。中には、性同一性障碍の存在そのものを全否定する「真性TERF」と呼ばれる人も出てきている。
『サイコバブル社会』には次の例も紹介されていた。
相談者は、同僚の様子が気になるという。その人物は、元から人間関係が不器用だった。数年前にいた別の職場では、不用意なことを口にして激しく叱責される。結果、心身消耗し、うつ病と診断された。復職した今も、仕事は休みがちだ。挙句、過食のため肥満になった。
彼に対し、社内では様々な声が出ているという。
「人間関係の不器用さは、まさにアスペルガー症候群だ」
「叱責が原因のPTSDじゃないのか」
「仮眠、過食は、典型的な新型うつ病の症状だよ」
「子供の時の親子関係に何かがあったに違いない」
「叱られて落ち込むのは正常な反応だ」
「あの眠気は薬の副作用に決まっている」
これこそが真の「サイコバブル」である。
林の言う「バブル」とは、実は「泡」という意味の Bubble ではない。赤ん坊がバブバブ言う状態を指す Babble なのだ。精神医学に対する生半可な知識が拡がり、誰もが適当な言葉をバブバブと発している――これこそが Psychobabble だ。
「バブルがはじけるのは、バブルの中と外を隔てる外壁があるからである。現代社会のサイコバブルPSYCHOBUBBLEの外壁は、サイコバブルPSYCHOBABBLEによって融解している。融解したバブルは、はじけない。はじけることなく、どこまでも膨張し続ける。そこに医療が追いつくはずもない。」
このままでは、本当に医療を必要とする人々に、医療が届かなくなる――それを危惧して、林は『サイコバブル社会』を執筆した。
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